美開について

永井荷風の著作に「断腸亭日乗」というものがあります。永井荷風が38歳のときから79歳の死の直前まで書き続けたという日記です。
永井荷風は、大正〜昭和と、そのころの風俗を元にした作品でよく知られていますが、その中に次のような日記があります。大正7年の記述です。

--『摘録 断腸亭日乗(上)』(永井荷風著 岩波文庫より流用)--
十二月廿二日。築地二丁目路地裏の家漸く空きたる由。竹田屋人足を指揮して、家具書筐(しょきょう)を運送す。曇りて寒き日なり。午後病を冒して築地の家に往き、家具を配置す、日暮れて後桜木にて晩飯を食し、姑八重福を伴ひ旅亭に帰る。この姑無毛美開、閨中欷歔(ききょ)すること頗(すこぶる)妙。
--流用ここまで--

この芸者、八重福に関する記述の中に「無毛美開」とあります。この「美開」、なにも註がなく、掲載されているのが現代語訳でないのですが、「女陰」を指しているものでしょう。しかも、いわゆる名器というものでしょう。
女陰を指す言葉にはよく、「門」という言葉が使われますが、上品開(じょうぼんかい)や上開、下開(げかい)のように「開」を使う言い方もあります。上開の活用形みたいなものでしょう。

ちなみに、八重福に関する記述の欷歔とは、泣くこと。この部分を現代風にいうと、「この芸者は陰毛が生えてなく、名器の持ち主で、セックスの最中に泣くのが少し不思議なことだ。」といったところでしょうか。


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